【雑記】プロ野球と共に暮らすことの意味
プロ野球を見ながら生活する意味を考えてみる。
中学生の頃には年数回甲子園に行くくらいのプロ野球ファンだった自分が、気付けば平日、休日問わず居場所は野球場の生活を送っていた。
なぜこうなったのか。
自分にとっては最高の居場所だった。
中学までは賑やかに過ごすことが多かったが、高校では正直言ってうまく行かなかった。正直言って、快適な居場所はなかった。
家が自営業で夜を一人で過ごす事が増えて、今思えば寂しかったのだと思う。
そんな思いを知ってか知らずか、両親は好きにやらせてくれた。もしかしたら単なる放置かもしれないが、何をしても怒られる事はなかった。
その時、何気なく見ていたテレビがケーブルテレビでやっていたスポーツ・iの千葉ロッテマリーンズ中継だった。特に詳しく見ていた訳ではないが父親の影響を受け、何となく広島カープを応援していたのだが、ちょうど広島からロッテに近藤が移籍してきて見始めたのだった。
これが面白かった。とにかく客がいない、チームも弱い、それになんか変な応援してる。
これは見に行かなきゃいけないと感じ、関西のロッテ戦に行くと、両手で数えられる程のファンと応援団がよくわからないけど小ネタをやりながら熱心に応援していた。今まで甲子園での観戦しかした事のなかった自分には衝撃だったのかもしれない。
この状況をさらに加速させたのが当時流行りだしたインターネットの世界だ。
今でもいないが、それこそ20年以上前に関西に住んでいてロッテファンに出会う事なんてありえるはずがない。
少しでもロッテ情報を求め、インターネットサーフィンを始めるとあるわあるわ、何故か知らないが野球ファンのHPは当時ロッテが1番充実していたかも知れないほど求めていた物があった。
そこからはひたすらテレホーダイの時間を待ってネット三昧、ロッテ三昧の日々。
学校終わって家にいても一人だったのでやりたい放題。
近藤監督時代のロッテ野球はネタのオンパレードだった。
ある意味、存在そのものがギャグのようなものだと今でも思う。
自分でもHP作って、ネット三昧、ロッテ三昧、気付けば受験生だったのにそのまま浪人、さらに野球三昧の日々を邁進する酷い生活、今考えるとゾッとする。
もっとも、今でもこの頃の出会った人達と付き合いが続いているのだから、運は良かったほうなのかもしれない。