あの頃の球場 2002.08.21
当時まだ学生で本格的な応援活動を開始したばかりだった僕はお金もないのに大阪から勢い余って宮城球場に飛んでしまった。いまとなっては記憶も曖昧だがLCCなどもない時代、高速はバスはあったと思うが過酷なルートになるため伊丹空港から飛行機に乗った記憶だけが残っている。
宮城球場(宮城野原公園宮城球場:宮城県仙台市)
当時は県営宮城球場とか宮城球場とか仙台宮城球場とかいろんな呼ばれ方していたような気がするけれど、まあ県が持っている宮城球場だ。2017年現在ではKoboパーク宮城と言う後々色々心配な名称で呼ばれているがインボイスドームよりは大丈夫だろう。
実は2002年のいつに行ったのかも覚えておらず、古いデジカメには日付データがないなどしていてはっきり覚えていないのだけど、東北ろうきんナイターだとすれば確か2002年8月21日だったような気がする。
大阪から仙台に飛んで、まず行ったのがなぜか仙台スタジアム、ちょうどカニトップのベガルタ仙台というのを知っていて試合もないのに一度見ておきたかった。
その後、宮城球場に向かって着いて一言「ボロい球場やなあ」。芝生の外野席の真ん中には水飲み場があり、バックスクリーンはぼろぼろ、内野スタンドもかぴかぴ、球場の外壁もよれよれと当時の基準で言っても間違いなくボロい状態で、この頃言われていたことではあるけれど1軍開催は難しいと言う状況だった。実際、この試合が東北野球企業として最後の興行になったと後で聞いた。
鳴り物禁止とは何なのか?
当時の宮城球場には鳴り物禁止などというくだらないルールはなく、横に病院があろうがガンガンの鳴り物応援、地元の高校生が来ていたこともあり、いつものGジャンを着たジントシオが呼び込み高校野球応援を繰り広げれば、水飲み場に登ったり、スタンドを走りまくったりと大暴れ。
試合も近鉄に打ち勝つ展開に多くないロッテは盛り上がり、そのまま場外の二次会に突撃。この二次会の様子ときたら今やったら捕まってしまいそうなほどのもので、いまのタクシー乗り場付近に集まった集団はチャンステーマを連呼しイタリア式応援スタイルを展開。当時の僕もこの試合と応援に大満足して大阪へ帰ったのでした。
現在の宮城球場
2004年に東北楽天イーグルスが誕生し、その本拠地として宮城球場が選ばれて以来、改修を繰り返して現在のKoboパーク宮城の姿となり、現在に至ります。
ボロかった球場の面影はほとんど消えて来ており、まるで別物。内野席のスタンドの一部の狭さ、ハエたたきスタイルの照明灯以外に昔の名残はなく、現在は素晴らしい球場の一つになっている。しかしあんなに古い建物を外側とはいえ建て増しして大丈夫なもんなんでしょうかね?