あの頃の球場 2005.11.13

あの頃の球場 2005.11.13

今は亡きアジアシリーズの初開催であったこの大会を制覇したのは千葉ロッテマリーンズ。後にも先にもチーム全体がアジアシリーズを制覇すると意気込んで挑んだ日本チャンピオンはこの時の千葉ロッテマリーンズだけだったのではないだろうか。ふざけた手抜きをするチームが続いた為、この素晴らしい大会は衰退し、幕を閉じてしまったままである。

ファンもチームも本気でアジアを獲りに行った千葉ロッテマリーンズ

2005年、交流戦優勝に続き、シーズン2位からのリーグ優勝を決めたマリーンズは勢いそのままにセリーグ優勝の阪神タイガースを一瞬で片付け、この年初めての開催になったアジアシリーズに挑んだ。

この年のロッテを追い掛けていた自分にしてもリーグ優勝が劇的過ぎて日本シリーズは絶対勝てそうだったのもあり、アジアシリーズが楽しみでならなかったのを覚えている。ただ、この当時の東京ドームの外野席はまだ自由席の時代で始発から並ぶ厳しいルールと激増した応援目当てのロッテファンに負けずに席を確保するの大変だった。

後になってみればアジアシリーズでこんなに東京ドームを埋めたファンはロッテだけ、いかに当時のロッテファンがバブル状態だったかが分かる。いや、それとも韓国とのつながりを持つロッテファンの心理がアジアシリーズへの興味を持たせたのだろうか?

一方、対戦チームとなった韓国サムソンライオンズも応援団と気持ち悪いマスコットを送り込み、激しい応援を繰り広げたが何せチームの名前がライオンズではまずかった。

この後に出場した日本チームと違い、ベニーなど助っ人外人を帰国させる事なくほぼ本気の体制で挑んだボビーはこの始まったばかりのシリーズの重要性と対戦チームへの敬意を持っていたのだろうか。

決して手を抜く事なくシーズン同様の戦いを繰り広げ、決勝を5対3で勝利し、アジアシリーズ制覇を果たした。この年ロッテは完全優勝と言うファンの体力も財布も空っぽになる1年になった。

しかし、この年以降出場したチームのやる気のなさ、ファンの注目度?意識?の低さも相まって2010年には日本開催はなく、その後一発勝負のチャンピオンシップと名を変えて何とか存続しようとしたが、結果的に2013年を最後にアジアシリーズは開催されていない。

最近は当時よりもさらにレベルが近づき、また開催すれば違った展開もあるとは思うがNPB自体が侍ジャパンなどと言う代物に注力してしまっている限りは開かれることはないだろう。